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日本画制作,白黒.jpg

1970年 愛知県豊橋市出身

1993年 日春展 全関西展 入選
1994年 金沢美術工芸大学 日本画科卒業

    青垣2001年日本画展 入選

1995年 グループ展(ギャラリー蛇の目)

    北陸中日美術展入選

    全関西展入選二人展 

    個展(浅野川画廊)

1996年 グループ展(ギャラリー蛇の目)​
    個展(ギャラリーエルグ)

    個展(ギャラリーエルグ)

1998年 個展(ひろた美術画廊)

1999年 個展(ギャラリーエルグ)

    グループ展(アートサロンコスモ)

2000年 個展(ひろた美術画廊)

    絵の街尾道四季展入選

            個展(ギャラリーエルグ)

    グループ展(ギャラリーノア)

2001年 個展(ギャルリ−くさ笛)

    個展(ひろた美術画廊)

    個展(ギャラリーエルグ)

2002年 個展(ギャルリ−くさ笛)  

    個展(ギャラリ−ノア)

2003年 個展(ギャラリーエルグ)

2007年 グループ展(ギャラリーはね)

    四人展(ギャラリーはね)

2010年 造幣局主催、国際コインデザイン

             コンペティション最優秀賞受賞
2014年 戸嶋靖昌作「風の草舟」象 縮小担当
2016年 豊橋市名誉市民賞、勲章デザイン担当
2017年 日本芸術メダル協会展、入選

2018年 日本画作品を豊橋市役所に展示

2019年 個展(ギャラリーguild)

2020年 日本アートメダル展、出品

2020年 グループ展(創英ギャラリー)

2020年 グループ展(ギャラリーアートポイント)

2020年 東北復興記念メダル招待制作

2021年 造幣局主催、国際コインデザインコンペティション

              最優秀賞受賞
2021年 日本アートメダル展 コンテンポラリーアート

              メダル賞受賞

2021年 FIDEM 国際メダル展 (目黒雅叙園百段階段)

2022年 日本アートメダル展 入選

2022年 グループ展(ギャラリーアートポイント)

     国際メダル連盟(FIDEM)会員

​     日本芸術メダル協会 理事

​制作の原点

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当時の落書きを記憶を基に再現しました。
​緑色のクレヨンで描いたことをよく覚えています。

私が初めて描いた絵は、「逆さまの顔」実家の廊下の壁に緑色のクレヨンで描きました。
実家の廊下は今では珍しい木材の建具でよく日の当たる、とても気持ちの良い場所です。廊下の端の白い壁には、雨戸を押し出すための30センチ四方の木の扉がついていました。私はその扉がなぜか好きでした。1~2歳のある日、その扉の横にこの顔を描きました。
​壁への落書きにもかかわらず、母は怒ることなく「顔描いたんだ」と言って笑ってくれたことを、はっきりと覚えています。もし、あの時怒られていたら今の自分はないかもしれません。

母の優しさ

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​3歳の時動物園で見たオットセイ

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​5歳 ひまわりとトンボ

とにかく絵を描いたり物を作ったりするのが好きな私のために母は裏が無地の新聞広告など絵が描けそうな紙をとっておいてくれました。毎日、何枚も描いていました。

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​6歳 作品の画像が反転しているのではなく「鏡文字」を書いていました。文字の向きは正直、今も自信がありません。

​絵を描くのは好きでしたが、勉強は今一つでした。鏡文字が多く国語のテストはいつも低い点数でした。当時、そろばん教室が流行っていて自分も通っていたのですが、他の子どもたちが5級、4級と昇級していく中、自分は8級からなかなか上がれませんでした。そんなとき母は自分をとがめることなく「この子は絵のほうが好きだから」とそろばん教室をやめて絵画教室に通わせてくれました。
​ 絵を習い始め、自信をつけたことで他の教科も少しづつ出来るようになっていきました。

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​11歳 絵画教室で制作したアルバムの表紙です。
​絵画教室は、日本画家の星野眞吾先生の主催の教室で後に日本画を専攻するきっかけにもなりました。

​父の教え

父は成績の悪い事を気に留めず「テストは1点でも点があればいい」といつも言っていました。怒られていたらもっと卑屈な人間になっていたかもしれません。
​父は剣道と居合道の有段者で中学生になったら剣道部に入るようにと言われていました。美術部に入りたかったのですが指示に従いました。高校も美術科の高校に進学したかったのですが「高校までは幅広く色々な事を学んだほうがいい、専門的に学びたければ大学で美術に進めばいい」と言われ尊敬する父の考えに一理あると思いその時も従いました。

今思うと剣道をやっていなければ体力もつかなかったし精神力も低かったと思います。様々な素材や技法を理解できるのも幅広く学んだことが役に立っています。

両親への感謝

絵の道を勧めてくれた母と、時期に応じて必要なものが身につくように導いてくれた父。両親がいなければ今の自分はありません。心から感謝しています。
 

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